斎藤元彦さんは神戸市須磨区の出身。
実家は、祖父がケミカルシューズの製造業を営んでしました。
そんな、祖父と実家のエピソードを知りたくないですか?
今回は、斎藤元彦さんの実家について調べてみました。
- 斎藤元彦の祖父はケミカルシューズを製造
- 実家の経営難が政治の道へ
斎藤元彦の祖父はケミカルシューズを製造!
出典元:YouTube
斎藤元彦さんが小さい頃は、祖父が長田区と須磨区でケミカルシューズ製造業を営んでいました。
ちなみにケミカルシューズとは、
「塩化ビニールなどの合成樹脂を使用したケミカル素材(合成皮革)で作った靴」
出典元:ラジトピ
と、神戸市長田区にある日本ケミカルシューズ工業組合の回答。
神戸は1868年に開港して以来、外国人を居留地として発展。
多くの文化がもたらされ、外国人の靴の修繕という商売から派生して「神戸靴」というジャンルが誕生。
斎藤元彦さんの実家がある長田区は盛んな地域で、その後時代の変遷がありながらも、合成素材を使用したケミカルシューズ製造業を祖父が目を付けたのでしょう。
出典元:さいとう元彦公式サイト
斎藤元彦さんですが、幼少期から経営の難しさを語る祖父の姿を目にしていました。
その記憶により「地元の産業を大切にしたい」と思うようになったそうです。
さらに、当時住んでいた衣掛町は須磨水族園や須磨海岸に近く、人情味のある地域だったそうです。
そんな環境があったからこそ、斎藤元彦さんが政治を志す原点なのでしょう。
ケミカルシューズ工場ですが、1995年の阪神大震災の影響で半壊しています。
斎藤元彦さんは当時、愛媛県松山市にある愛光高校の1年生。
出典元:さいとう元彦公式サイト
そのため、実家の経営状態が良くない状況になり奨学金をもらいながら学んでいました。
家業が順調だった時期もあったのかと思いますが、そんな時にこそ政治の助けを必要と考えていたのかもしれませんね。
実家の経営難が政治の道へ!
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実家の経営難は大学在学中にも遭遇しています。
斎藤元彦さんですが、三宮の予備校で1年間浪人生活を送り、その後東京大学経済学部に入学。
ちなみに、東京での一人暮らしにより自由奔放に過ごしていたため、授業にはあまり出席していなかったそうです。
その結果、駒場キャンパスで留年することに。
斎藤元彦さんも東京の誘惑には勝てなかったようですね♪
出典元:さいとう元彦公式サイト
それでも「このままではいけない」と感じていた矢先、平成不況の影響で実家の経済状況が急激に悪化してしまいます。
偶然でしょうが、斎藤元彦さんを政治の道を進ませるためのイベントだったのかもしれませんね。
退学も考えていたそうでが、育英会の奨学金に助けられました。
制度にも賛否両論ありますが、本当に助けがほしい人に届く制度は必要ですね。
斎藤元彦さんもこの時、セーフティーネットの重要性を痛感したそうです。
その経験が巡り巡って、運用する側になっていたのですね。
まとめ
今回は、斎藤元彦さんの実家について調べてみました。
- 祖父から経営について聞かされるうちに政治に興味をもつことに
- 高校と大学時代でも実家の経営難により制度に救われる
詳しい経営内容はわかりませせんが、時代や経済状況により大きな打撃を受ける製造業なのでしょう。
それでも、斎藤元彦さんの祖父は昔からの文化を大切にしたかったから続けていたのかもしれまんせんね。