広末涼子さんは、実家がある高知に帰省すると高知弁を話しているほど地元を愛しています。
家族への想いへにもつながっているのではないでしょうか。
そんな広末涼子さんの家族を知りたくありませんか?
今回は、広末涼子さんの家族について紹介していきます。
- 広末涼子の妹の衣美は保育士?
- 広末涼子の父親が雑貨屋を経営
- 広末涼子の母親のプロフィールと性格
広末涼子の妹の名前は衣美?
妹の衣美さんは、美人との噂。
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広末涼子さんの妹は衣美さんと言います。
画像は見つかりませんでした。
3歳年下で東京で保育士をしていました。
東京の大学に通っていた頃は、広末涼子さんと同居していたそうです。
現在は結婚して地元高知に住んでいます。
ちなみに、旦那さんとは、2・3年遠距離恋愛をしていたのだとか。
東京で働いていた妹の衣美さんは、深夜バスを使い高知と東京を1カ月に1回往復していました。
遠距離恋愛での生活が良い方向に進んでよかったですね。
広末涼子の家族構成は?
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広末涼子さんは、
父親
母親
妹
の4人家族です。
広末涼子さんの実家は高知県ですが、高知市の中心街の帯屋町商店街内でビルを経営。
ちみに、オーナーは父親の兄になります。
実家はビルのテナントで雑貨屋を経営していて母親も一緒に仕事をしています。
広末涼子の父親は雑貨屋を経営
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広末涼子さんの父親は廣末忠彦さんと言いいいます。
「mamaikuko(ママイクコ)」という雑貨チェーンの高知店を経営。
住所:高知県高知市帯屋町1丁目14-1 廣末ビルの1階
ビル名が「廣末」ですが、父親の忠彦さんには、幸彦さんという兄がいてその方がオーナーのようです。
ちなみに、高知のマクドナルド1号店は廣末ビルのテナントにオープン。
マクドナルド1号店は、地域で一番賑やかな所にオープンするようなので、兄の幸彦さんは財力持った方なのでしょう。
帯屋町商店街内は高知で繁華街として知られています。
広末涼子の父親の廣末家が雑貨屋を経営するまでの歴史
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2021年2月15日にNHKの「ファミリーヒストリー」で廣末家が雑貨屋を営むまでの歴史が語られていました。
5代前:三五郎(江戸末期)が、高知県安芸郡田野町で農家を営む。
そして、常三郎を養子に。
高祖父:常三郎は、1864年(元治元年)11月15日に西山家に誕生。
1893年(明治26年)に廣末家に養子に迎えられる。
1893年に金物商 「広末常三郎商店」を開く。
全国で137番目という早さで販売免許を取得。
曽祖父:静一は次男として、1893年(明治26年)に誕生。
昭和2年(1927年)、静一が34歳の時に、帯屋町で金物店を開業。
1945年(昭和20年)高知大空襲を受け被害を受けるも道で店を開く。
祖父:隆久が1927年(昭和2年)に誕生。
電化商品など4000種類ほどの商品を扱う「廣末金物店」に拡大。
ここからが、広末涼子さんの叔父さんの幸彦さん、父親の忠彦さんのストーリーです。
1953年(昭和28年)に長男の幸彦、1955年(昭和30年)に広末涼子さんの父親の忠彦さんが誕生。
1983年(昭和58年)11月18日に帯屋町商店街で火災が発生し「廣末金物店」は全焼。
伯父の幸彦さんは1985年(昭和60年)に「廣末金物店」の跡地に商業ビルを建設。
事業の変更し、この時に父親の忠彦さんが雑貨屋を開業。
5代目前からの歴史が語られていましたが、火災にあったものの商売を続けられてきたのは凄いですね。
広末涼子の父親の廣末家の名前の由来
末廣の「末」は子孫という意味で、子孫繁栄をあらわす漢字のようです。
高知県では高知市と奈半利町と田野町で多いとのこと。
広末涼子の父親のプロフィール
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広末涼子さんの父親の忠彦さんは1955年生まれ。
横浜の大学を卒業しています。
1985年に雑貨屋mamaikuko(ママイクコ)をオープン。
以前は廣末ビルの3階でカフェも営業していたそうです。
広末涼子の父親と母親の馴れ初めは?
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広末涼子さんの父親の忠彦さんは横浜の大学に通学していた際横浜駅前で、安藤眞弓さんに声をかけました。
それがきっかけとなり、交際をスタート。
その後、1979年に結婚。
父親の忠彦さんは無事に眞弓さんの両親に結婚の承諾を受けました。
そして、1980年に広末涼子さんが誕生しています。
広末涼子と父親とのエピソード①
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広末涼子さんは実家に帰省すると父親を連れて、飲みに行くのだとか。
仲の良さを感じますね。
広末涼子さん映画の撮影日が父親の誕生日と重なったことから、サプライズで実家に帰り父親を驚かせたこともあったそうです。
広末涼子と父親とのエピソード②
広末涼子さんの父親は上京した際に驚いたことがあったそうです。
PARCOで広末涼子さんの大きな写真を見て、人気をがあることを知ったのだとか。
広末涼子の母親の廣末眞弓のプロフィール
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母親の廣末眞弓さんの旧姓は「安藤」です。
・1956年(昭和31年)に北海道旭川市で次女として誕生。
・1959年(昭和34年)に父親が転勤で埼玉県秩父市に引越
・1975年(昭和50年)に神奈川県横浜市に引越。
母親の眞弓さんは、高校卒業後に横浜の専門学校に進学。
そして、横浜駅で父親の忠彦さんに出会いました。
広末涼子さんを生んだのが、24歳の時になります。
広末涼子の母親の父方の歴史
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広末涼子さんのは母方の祖父の安藤正順さんは、長野県塩尻市で誕生。
戦争や時代の流れにより、日本各地で生活していたようです。
正順が8歳の時に父親が失踪。
興龍寺に預けられる。
正順の母親のむらは、興龍寺の隣村の蚕技術研究所で住み込みの寮母として働く。
18歳で陸軍に入隊。
大陸で活動したものの、23歳の時に病気により帰国。
25歳の時に終戦。
長野県塩尻市に帰省し。
昭和電工の塩尻工場に入社すると、早々に北海道旭川市の旭川工場に転勤。
そこで、祖母の綾智枝子(あや ちえこ)と出会い結婚。
正順はの母親・むらを北海道旭川市に呼び寄せる。
3年後に正順は埼玉の秩父工場に転勤。
1975年(昭和50年)に、神奈川県横浜市へと移り住む。
戦後は、後に続く高度経済成長と共に生きた人生だったのでしょう。
広末涼子の母親の母方の歴史
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広末涼子さんの母親の祖母の綾智枝子さんは北海道旭川市で誕生しています。
綾家は香川県で農業を営んでいましたが、災害により旭川に移住するこになりました。
綾家は、香川県で小作人を雇いながら農業を営む。
祖母の智枝子の父親の綾彌四郎は長男として1981年(明治24年)に綾家に誕生。
1911年(明治44年)の20歳で徴兵。
1914年(大正3年)の23歳で除隊。
その後、実家の家業を継ぐ。
1918年(大正7年)9月14日に高瀬川が大雨で氾濫。
耕作地を奪わることに。
綾家は北海道旭川市に移住。
旭川市の市街の現在の「うれしば保育園」う辺りに店を開業。
1926年(大正15年)に祖母の綾智枝子が誕生。
1946年(昭和21年)祖母の綾智枝子はタイピストとして、昭和電工旭川工場に入社。
2年後に6歳年上の安藤正順と出会い、結婚。
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そして、1956年(昭和31年)に広末涼子さんの母の眞弓さんが次女として誕生します。
ちなみに母親の眞弓さんは茶道をしていたそうです。
広末涼子の母親の性格は?
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広末涼子さんの母親は明るくてさっぱりとした性格のようです。
広末涼子さんが悩んでいる時でも、「あなたがやめようが続けようが、私の人生には関係ないわよ」とはっきり言いうそうです
また、広末涼子さんがいじめられたという記事が出た時には、「涼子がいじめられて記事になるなんて、すごいね」と笑っていたそうです。
広末さんは「母親のポジティブさを受け継いだから、この仕事を続けられているんじゃないか」と思っているそうです。
まとめ
今回は、広末涼子さんの家族について紹介していきました。
廣末家と綾家の歴史も時代と共にある、という感じでしたね。
広末涼子さんが高知を愛しているということも、わかったのではないでしょうか。