芸能界で長年、多方面に活躍している石田ゆり子さんの「出身の高校が気になりませんか?」
高校時代にスカウトされたとこともあり多忙がゆえに、定時制がある高校に編入しています。
学生時代にスカウトされるなんて想像できなかったでしょうね!
1987年には全日本沖縄キャンペーンガールでデビューしていますが、当時を知る方は鮮烈なデビューだったそうです。
今回は、石田ゆり子さんの学歴とプロフィールについて紹介していきます。
- 石田ゆり子は都立桜町高校出身!
- 石田ゆり子の学歴
- 石田ゆり子の卒アル
石田ゆり子は都立桜町高校出身!
出展元:Wikipedia
石田ゆり子さんは都立桜町高校の出身です。
石田ゆり子さんは、中学生まで本格的に水泳をしていましたが、水泳選手になるという考えは全くありませんでした。
高校に進学したら水泳を辞めて、美大に進むという計画を立てていたそうです。
しかし、親がなかなか水泳をやめさせてくれませんでした。
それでも転機が訪れ石田ゆり子さんは、16歳の時にスイミングスクールに向かう途中でスカウトされています。
2020年10月6日放送の「徹子の部屋」に出演していた妹の石田ひかりさんが、
「私は二子玉川だったんですけど、姉が自由が丘で同じ人に声をかけられているんですよ」
出典元:スポニチ
と、石田ゆり子さんが1カ月前に同じスカウトマンから声を掛けられていたことを語っていました。
その後、厳格な両親に反対されながらもスカウトマンが1年を費やして母親を説得し、結果的に芸能界入りが決まりました。
母親の了解を得たものの、何年も父親には内緒にしていました。
しかし、妹の石田ひかりさんがレコードデビューを果たし、石田ゆり子さんが航空会社のキャンペーンに参加することが決まったため、とうとう打ち明けざるを得ませんでした。
芸能界での活動を理解してもらうため、父親に秘密を打ち明ける際、酒を交えて機嫌を取ったことを語っていました。
中学生までは毎日、学校とスイミングプールの往復。
それで一日が終わっていき、その生活に辟易して姉妹で慰め合っていたそうです。
デビューが決まりスイミングプールに通わなくなった学校からの帰り道、友達とファストフード店でくつろぎながらおしゃべりするという日常の一コマ。
人生で初めての「ひとときの余白」が生まれ、世界が一変したように感じられたそうです。
それでも、芸能界デビューしてからは多忙を極め、定時制のある学校に編入しています。
出展元:Wikipedia
石田ゆり子さんは青山高校に編入しています。
学校名 | 東京都立青山高等学校 |
学科・コース | 男女共学 |
偏差値 | – |
住所 | 東京都渋谷区神宮前2丁目1 |
最寄り駅 | 青山一丁目 |
公式HP | 東京都立青山高等学校 |
編入した時期は不明ですが、1987年高校3年生の時に「沖縄キャンペーンガール」に選ばれテレビCMやポスターを飾ました。
いきなり、芸能界の仕事に放り込まれ俳優をやることになりましたが、なにも出来なく悲しい思いをしたそうです。
1988年の森田芳光監督映画『悲しい色やねん』では、「お前なんか辞めちまえ!」と叱責されたことを今でもよく覚えているそうです。
それでも、
『何とか森田監督ともう一回仕事をして、褒められたい!』という気持ちが沸々と湧いてきた。森田監督の一言が、私に、俳優という仕事をしがみついてでも続けていこうと思わせてくれたんです
出典元:FRAU
ピンチはチャンスというのはこのことを言うのでしょうね。
石田ゆり子の学歴!
- 石田ゆり子は女子栄養大学短期大学部の出身!
- 石田ゆり子は小学校・中学校は台北市日僑学校の出身!
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それでは、石田ゆり子さんの大学、中学校と小学校を紹介していきましょう。
石田ゆり子は女子栄養大学短期大学の出身!
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石田ゆり子さんは女子栄養大学短期大学部の出身です。
※当時は夜間部に通っていましたが、現在は募集はしていません。
学校名 | 女子栄養大学短期大学部 |
学科・コース | 食物栄養学科 |
偏差値 | 35~50 |
住所 | 京東京都豊島区駒込3丁目24-3 |
最寄り駅 | 駒込駅 |
公式HP | 女子栄養大学短期大学部 |
石田ゆり子さんが在学していた頃、女子栄養短期大学は2000年に「女子栄養大学短期大学部」と名称を変更しています。
女子栄養大学の前身である女子栄養短期大学は1950年に設立されており、その後大学が設立されました。
キャンパスは本部が埼玉県坂戸市にありますが、短期大学部は東京都の駒込に位置しています。
前記でも記載しましたが、高校を卒業したら美大に進学する予定だったので、女子栄養大学短期大学部を選んだのは、何か意図があったのでしょうかね。
多忙な俳優を続けていくには、「身体が資本」と考えていたのかもしれません。
石田ゆり子は台北市日僑学校の出身!
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石田ゆり子さんは台北市日僑学校の出身です。
台北市日僑学校は、私立の日本人学校で小学校と中学校に相当する学習プログラムを設置しています。
ちなみに、住まいが東京都→兵庫県西宮市→神奈川県川崎市→台湾と父親が転勤の多い仕事についていました。
石田ゆり子さんは小学6年生から中学3年生まで台湾で過ごし、ここでも水泳に明け暮れていました。
毎日10万メートルを泳ぎ、ジュニアオリンピックに出場。
水泳は個人競技ですが、練習団体がありノルマを課されて達成しないとペナルティーがあったそうです。
石田ゆり子さんはそんな体育会系のルールの中でも、
「幼心に、〝苦しいのは自分だけじゃないんだ〞ってこと、〝自分には心から信じられる仲間がいるんだ〞と思えたことは、私にとって、宝物のような経験になりました。肉体的にはつらかったけれど、嫌な思い出ではまったくない。あのときのことを思い出すと、本当に宝石みたいなキラキラとした透明な感情が、そのまま蘇ってきます」
出典元:FRAU
と、わずか10歳で崇高な精神を抱くようになったそうです。
他の子どもたちのことはわかりませんが、10歳にしてそのような境地に達するなんて、その練習団体は素晴らしいですね♪
【画像】石田ゆり子の卒アル
石田ゆり子さんの卒アルは見つかりませんでしたが、2018年6月22日に自身のInstagramで子供時代の水泳時代の仲間とコーチが映った画像を投稿。
石田ゆり子さん
前列左端でしょうか。
出展元:クランクイン‼
妹の石田ひかりさんも映っていて、前列中央に同じような顔が。
出展元:クランクイン‼
ファンからは、「子供の頃から美人」「素敵な思い出ですね!」とコメント。
まとめ
今回は、石田ゆり子さんの学歴とプロフィールについて紹介してきました。
幼くして水泳を通じて、沢山のものを感じ取ったのでしょう。
芸能生活の身のこなしにも影響しているかもしれませんね。