萱和磨さんが学生時代から体操の有名選手として活躍してました。
そんな、萱和磨さんの学歴を知りたくないですか?
今回は、萱和磨さんの学歴を紹介していきます。
- 萱和磨の出身大学
- 萱和磨の出身高校
- 萱和磨の出身中学校
- 萱和磨が小学生で体操をはじめたきっかけ
萱和磨の学歴
千葉県出身の萱和磨さんは、高校まで地元の千葉県の高校で学んでいます。
そのご、体操の名門の順天堂大学に進学。
出展元:毎日新聞
それでは、萱和磨さんの学歴を紹介していきましょう。
萱和磨の出身大学
出展元:Wikipedia
萱和磨さんは順天堂大学の出身です。
学校名 | 順天堂大学 |
学部・学科・コース | 医学部、スポーツ健康科学部、医療看護学部、保健看護学部、国際教養学部=国際教養学部、保健医療学部、医療科学部、健康データサイエンス学部、薬学部 |
偏差値 | 45~70 |
住所 | 東京都文京区本郷2-1-1 |
最寄り駅 | 御茶ノ水駅、水道橋駅、本郷三丁目駅 |
公式HP | 順天堂大学 |
順天堂大学ですが、多くのオリンピックメダリストを輩出した名門中の名門です。
萱和磨さんは、当時冨田洋之さんが監督を務めていたことから、順天堂大学に進んだと考えられます。
着実に成績を残し、
・2015年の世界選手権のあん馬で銅メダル、団体総合で金メダル
・2018年の世界選手権の団体で銅メダル
・2021年の全日本個人選手権で個人総合で優勝
と、世界で活躍する選手に。
2015年の世界選手権は、大学1年生ながら37年ぶりの団体総合の金メダルに貢献しています。
当時は、内村航平さんがチームを引っ張っていて萱和磨さんは猛練習に励んだそうです。
引っ張ってくれる人の存在感というのは大切ですね。
しかし、2016年のリオデジャネイロオリンピックでは補欠。
スタンドから悔しい観戦も経験。
この悔しさをばねに、東京オリンピックでは活躍。
・団体総合で銀メダル
・種目別あん馬で銅メダル
と、実力を遺憾なく発揮してくれました。
順風満帆ではなかったからこその活躍だったのかもしれませんね。
萱和磨の出身高校
出展元:Wikipedia
萱和磨さんは習志野高等学校の出身です。
学校名 | 習志野市立習志野高等学校 |
学部・学科・コース | 共学 |
偏差値 | 48 |
住所 | 千葉県習志野市東習志野1丁目2−1 |
最寄り駅 | 実籾駅 |
公式HP | 習志野市立習志野高等学校 |
習志野高等学校はスポーツの盛んな高校で、体操部はもちろん野球やサッカーも強豪校として知られています。
萱和磨さんですが、小学2年生から体操を初めていますが6年生から「習志野ジュニア」で技術を磨いていました。
「習志野ジュニア」ですが、実は習志野高等学校の下部組織。
練習は平日4時間、休日は6時間していたそうです。
まさに、体操漬けの日々ですね。
目標があったからこそ厳しい練習に耐えることができたのでしょうね。
練習の甲斐もあり、高校3年生には「全国高校体操選抜大会」で個人総合優勝。
それでも、5月に行われた「全日本選手権」では総合27位。
一桁の順位を目指していたので、悔しい思いをしたそうです。
出展元:jiji.com
ちなみに、同世代のライバルとして出場していた白井健三さん16位。
白井健三さんは2016年のリオデジャネイロオリンピックの団体で金メダル時の一員。
萱和磨さんその後の活躍は、ライバルがいたからこそ頑張ってこれたのかもしれませんね。
萱和磨の出身中学校
出展元:千葉市
萱和磨さんは幕張西中学校の出身です。
学校名 | 千葉市立幕張西中学校 |
学部・学科・コース | 共学 |
偏差値 | 48 |
住所 | 千葉県千葉市美浜区幕張西2丁目9-1 |
最寄り駅 | 幕張豊砂駅 |
公式HP | 千葉市立幕張西中学校 |
萱和磨さんは中学3年生の時に、全国大会での7位になっています。
ちなみに、白井健三さんは3位。
この時期も白井健三さんは一歩リードしていたようですね。
萱和磨さんですが、マイペースな性格だそうです。
そんなこともあり、周りの活躍に刺激を受けるのもそうですが、着実に自分の練習に打ち込んでいたのかもしれませんね。
萱和磨が小学生で体操をはじめたきっかけ
出展元:Instagram
萱和磨さんですが、小学2年生の時にアテネオリンピックで日本が優勝した姿に感動。
特に、冨田洋之さんに憧れを抱いたそうです。
その想いで、母親に「体操をやりたい」と言ったそうです。
萱和磨さんですが、マイペースな上に引っ込み思案な性格。
母親はその意志に報いる形で、近くの体操クラブを見つけました。
実は、千葉県は「体操王国」と呼ばれ競技が盛ん。
しかも、団体競技には興味を示さなかった萱和磨さんですが、鉄棒や登り棒、うんていなどが好きだったそうです。
萱和磨さんは運命の場所に生まれ育ったといっても過言ではなさそうですね。
元々、体が弱く母親は何かやらせたいと考えていたそうです。
食も細かったようですが、体操が仕方が無かった萱和磨さんは身体作りのため好き嫌いも克服。
好きな事を見つけると、その人を大きく変える力になるのですね。
母親は、しつけにも厳しかったらしく「悪い事をしたら練習に行かせない」と伝えていたそうです。
将来、世界で活躍してテレビで出た際の振る舞いも考えていたそうです。
自身の努力もそうですが、母親はもちろん良い環境で技術を磨けたことが萱和磨さんの成長につながったのでしょうね。
まとめ
今回は、萱和磨さんの学歴を紹介していきました。
小さい頃の憧れが、夢につながっていく萱和磨さんの足跡は素敵ですね。
現役活躍後は、指導者の道も考えているかもしれませんね。